悪童日記1月13日15日

ああもう、あまりにたくさんの用事があって、
久しぶりにすっ飛ばしました。日記。

今日はすごい雪でしたね。
こけないことだけを祈って1日過ごしました。
赤子を抱いているので、普段のように尻餅をつくわけにはいかなかったのです。
じうちゃんは初めての大雪に結構驚いていました。
なんならちょっと、怖がっていたと思います。
雪を怖がる生き物と過ごす雪の日は、新鮮でした。

さて、13日は、前半、達矢さんのブレイクダンス講座となりました。
達矢さんは、物凄い身体能力をお持ちです。それをみんなにお裾分けしてもらいました。

みんな頑張ってたので、私も三点倒立にチャレンジしてみました。


全くできずに終わりました。

後半は、悪童日記の中で双子が捜索した「金持ちと貧乏人」という小芝居(まさに小芝居)を実際に立ち上げてみました。台本通り読んでみたり、外からセリフを当ててみたり、全く関係のないセリフを当ててみたり、高杉さんに一人二役をやってもらったりしました。

今日、15日は、出演者が全員でできる群像のシーンを作ってみました。
兵士、いじめっ子たち、曳かれゆくユダヤ人たち、酔っ払いたち。

この4つの集団の、類型的な動きをまず探ります。
そして、動きだけをやってみる。声だけを出してみる。両方出してみる。声を出さず、他の音を当ててみる、などして、すべてに共通する動きを探りました。

なかなかすべてに共通するものを探すのは難しかったのですが、全く同じ動きで兵士とユダヤ人のシーンが一つ、作れました。これには結構、興奮しました。

今日もじうちゃんは、楽しそうに稽古を見ていました。みんなにも構ってもらえて、嬉しかったなー。

すでにご予約いただき始めております、悪童日記。
なんか面白いもの作れる手ごたえあります!

悪童日記1月12日

じうちゃんが、便秘です。
うーむ。お腹が破裂したらどうしよう・・・しないとは思うのですが・・・

今日は、先日作った脱走兵のシーンに、セリフを外から当てる稽古をしました。

小説の中の言葉、を、生の肉体を持った人間が発するときに、必ず感じる違和感。
これを俳優が、演出が、しっかり違和感として捉えていくこと。
それを逆に武器にできるかどうかを検討すること。
武器にするための演出方法。
その一つとして、です。

悪童日記はどうしても、話し言葉を使うことができない作品。
私は、小説の中の言葉しか使わないつもりです。

私にとっての話し言葉は関西弁。

セリフを例えば関西弁に変えてしまっても、この小説の普遍的な部分は担保できるのでしょうか。
仮に担保できても、
関西弁につきまとう雰囲気を、果たしてまとって良いものか。

そう考え出し、やはり、小説の中の言葉だけを使ったほうが良いと判断しました。

書き言葉を口から発することも、大きな劇場なら悪くないと思うのですが、今回回る劇場は全て小さな劇場。
お客さんとの距離と、セリフの質感の関係を考えると、書き言葉をそのまま、話し言葉のように取り扱うことは、とても難しいと思います。

外からセリフを当てていくと、時々とても、リアルに感じることがあります。
本人が喋るよりも。

でも基本的には、ストーリーの説明のようになってしまいます。
そうしないためには、生き物と生き物の間の目に見えない何か、を捉える必要があります。

それは結局、舞台と客席の関係にもつながります。

今回は、5人の出演者の立ち位置などの関係も功を奏し、ふと、リアリティのある人間関係を見つけることができたりしました。見つけたら、それを成立させるためにセリフのスピードや立ち位置を考えることができます。

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縦横無尽に、手当たり次第、気になる稽古をやっていくことができる期間も、そろそろ終わりに近づいてきました。

ギリギリまでまとめずに、散らかしていきたいと思っていますが、どうなることやら。

そしてじうの便秘はいつ治るのか。

悪童日記1月11日

口に出したことが本当になる、ということを折に触れて読んだり聞いたりするので、リアルでもSNSでもあまり言葉ではネガティブなことを言わないようになってきたのですが、

思考も本当になるというので、こうなってくると自然に浮かび上がってくるネガティブな気持ちと向き合う必要が出てきます。感情というのはコントロール不可能ですので、浮かび上がってくる気持ちを、体までやられぬよう注意しながら、ぼんやり眺める日々です。

逆かな。体が弱るとネガティブになるし。
でも自分がウィークポイントやと思ってるとそこが本当にウィークポイントになるし。
ああああ。

しかししんどいことがあっても赤子を見ると、みるみる回復します。

さて、今日の稽古では、双子が大人に行く先を阻まれるがそれをすり抜ける、というシーンと、「ありがとう」とうまく言えないシーン、というのにチャレンジしました。

行くてを阻まれるシーン。担当を変え、人数を変えて、何度も繰り返します。すり抜け方、すり抜ける場所、足かせとなるもの、などを少しずつ調整してゲーム性を高めていくと、面白い瞬間が生まれました。

ありがとうと上手く言えない、というのは、この小説の中で、双子が親切を受けた相手に言った言葉なのですが、これって芝居をつくってると本当によくわかる言葉だな、と思います。ありがとうに限らず、言いたくないこと、自分のものと思えない言葉、たくさんあります。嘘をつかずに、つまり、芝居をせずに芝居するにはどうしたらいいか。

これ、今回のこの作品に通じるテーマなのです。
ストーリーを伝えるだけの芝居はしても意味がない。

時間が足りず、
一つだけアイディアを試すまでで稽古は終了しました。でもそのアイディアは、意外と使えそうです。

稽古の写真は後日アップしまーす!
5人中4人が灰色を基調とした稽古着でした。どうでもいいのに写真を撮ってしまいました。

悪童日記1月8日

じうちゃんが、今日、とうとう、前に進みました・・・・・
ずっと、3ヶ月ぐらい、寝返りは出来るのですがズリバイができない状態でした。
進もうとすると後ろに下がる。
あるいはぐるぐる回る。
それを繰り返してました。

ここ数日は、じうちゃんもじれったくなってきたのか、寝返りがえりしたり、寝返りをしにくい方で寝返ってみたり、色々新しい動きを見せていました。が、なかなか前へは進めませんでした。

そして今日、ついに稽古場で、二歩、前に進んだのですっっっっ!!

本人は、自分が進んだことに、あまり気がついていませんでしたが、
私は嬉しくて嬉しくて、稽古用動画を撮っていたのに、そっちに気を取られて稽古から目をそらしてしまいました。
どうだ、最低な演出家だろう。

さて今日は、双子にとっての二人の女性を表現するシーンを作ってみました。

この女性は、一人は兎っ子と呼ばれる隣人の娘で、うさぎ唇に薮睨みの目、できもの、目ヤニがいっぱいの不潔な少女です。

もう一人は女中で、金髪の踊るヒップを持つ、ストッキングの伝線した女性。

二人を表現する単語を発しながら、歩いてもらいます。
舞台上にはスリッパが一組。
それを手に持つと、持った二人は町のいじめっ子になり、残った一人は兎っ子に。
それを履くと、はいた二人は双子になり、残った一人は女中になります。

スリッパを所有できる時間は1分。
それが過ぎたらリセットされますが、

はいているスリッパを奪ったりして、立場を変えることも可能です。
また、言葉を奪って立場を変えることもできます。

言葉を奪うというのは・・兎っ子と女中はビジュアル的に真逆の女性であるにもかかわらず、小説上、その二人を表現する色彩が同じなのです。二人とも、赤い部分と、黒い部分と、黄色い部分を持っています(黒い髪、とか、黒い歯、とか)

それなので、誰かが女中を表現するために「黒い髪」と言おうとして、「黒い」、と発した時に、誰かが「歯」と言ってしまうことで、それが兎っ子になる、ということが起きます。

そうやって、ゲーム的に3人の関係を変化させていきながら、この二人と双子やこの町のことがどこまで表現できるか探っていきました。やっていくと、いろいろな発見があって、とても面白かったです。

最終的に双子は、いじめられる兎っ子を助け、優しくしてくれた女中を殺そうとします。

私たちの中に潜む差別心や、この二人の女性の表裏一体な存在について考えを巡らす良い時間となりました。

後半は、「脱走兵」のシーンを実際に小説の中のセリフを使って再現してみることにしました。
実は、ただ再現するのではなく、身体の発するメタメッセージ、セリフを喋る時の違和感、などについてじっくり目をこらすことを目的とした作業となりました。

私たちはストーリーを伝えたいわけではないのです。
人と人の間にあるものをどうやって届けるか。
そもそも、その人と人の間には、いったい何が起きるのか。この悪童日記を演る事によって。
というのが課題です。

もう少し、風呂敷を広げる作業が続きます。

悪童日記1月7日

昨日、お出かけの帰りのバスの中。満員で、ほとんど身動きが取れない状態(ここ数年、観光客の数が激増し、市民のバス利用は大変困難を極めております]の中、突如、アラウンド80と思われるおばあさまが、周りの乗客を押しのけてじうの足をつかみました。

「裸足!」
「は、はい」
「冷た!」
「そうなんですよー」
「風邪ひくでこんなん」
「はい」
「大人だけぬくいぬくい格好して」
「え、えへへへ・・・」

おばあさま、満員の乗客をかき分け何をしに来たのかと思えば、じうの足のことを心配して親の私たちに注意しに来たのでした。

ちなみにじうちゃんですが、普段はもちろん靴下を履かせております。この日は事情があって、偶然裸足だったのです。しかし、世界に散らばる赤ちゃん親衛隊の目はごまかせませんでした。スピードを出した日に限って切符を切られるのと同じですね。同じかな。

私も将来、ああいう感じで親衛隊に入隊するのでしょうか。少し不安です。

さて、今日の稽古は、午前中、私抜きで、「双子は離れ離れになると生きていけない」ということを表す動きのようなものを作ってもらいました。昨日のメンバープラス達矢さんだったので、より多くのパターンを作ってもらえました。ただその振り付けも「振り付け」としてやるのか「その瞬間に起きたこと」としてやるのかでずいぶん見え方が変わってくるように思いました。

セリフもそうですが、

決まっていることをただ単純にこなすのと、
その時その瞬間にその言葉を発するように意識するのとでは、雲泥の差です。

少し意識を変えただけで、面白い瞬間が増えました。

そのあと、この小説の中でも最も重要なシーンの中の一つだと私が思っている「靴屋さん」のシーンについて、まず話し合いを始めました。

理不尽な死を、ルーチンワークをこなしながら待つ気持ちについて。
こだわっていたことを簡単に手放すことについて。

いろいろと意見交換を行いました。

また、私がとても残ったのは「絶対に必要なものだから無料であげる」「嫌なことは言わなくていい」というセリフです。

絶対に必要なものは無償で手に入る世の中にならんものだろうかと思うせいでしょうか。
ルールとか、礼儀作法とか、そういうことを飛び越えて、双子を尊重してくれた靴屋さん。

なんだか現代の私たちの生きる導になりそうな言葉たちです。

話し合いの後、実際にこのシーンを、小説の中のセリフを使ってやってみたり、設定だけ残してセリフはエチュードで作ってみたり、いろんな方法で立ち上げようとしてみました。

結果、

普段の私たちの体は、思った以上に、言葉以上に、よく喋ること。
それがセリフ劇になった途端になくなってしまうこと。
しかし、体は言葉と連動して動くものなので、動きだけを抽出するわけにはいかないこと。

ということが、まるで山の中の茂みの、大きすぎる丸太のように、あるいは深さの知れない沼地のように、私たちの行く先を遮ってきました。

さて、どうするか。

サファリでは、セリフ劇を採用しようとすると、毎回たくさんの難題にぶつかります。
今日も、結局、二進も三進もいかなくなりました。
しかしこの山は、本番までに必ずや上る必要のある山です。
明日以降も、課題となっていくことでしょう。

最後に、おばあちゃんの家とその周りの場所を説明するシーンを、昨日と同じルールでやってみて、稽古を終わりとしました。

悪童日記チラシのキャッチフレーズを考える徒然

2980円の生協の割れチョコを注文しそびれて切ない朝です。
朝起きたら締め切りが過ぎていました。

昨夜、数分迷った挙句、夫に聞いてから注文しようと思って、パソコンを閉じ眠りにつき、朝、笑顔で「いいよ!」と言われてやったー!と喜んだこのほんわかした時間がただただムダになりました。

まあ、大量のチョコを食べずに済んで良かったのですが。

さておもむろに本題に入ります。
双子のいう真実とは何か。
双子は、
「日記に真実しか書かない」
としています。

しんじつ
【真実】
《名・ダナ》
1.
うそや飾りのない、本当のこと。まこと。 「―を語る」
2.
《副詞的に》 本当に。まったく。 「―困った話だ」

実際、双子が言いたかったのは「事実しか書かない」だと思います。

事実は「実際にあった」と多くの人が認められる事柄、客観的に認められる事柄のこと
真実は人それぞれが考える本当のこと(事実)で、客観的なものではなく、主観的なもの

ただ、翻訳の堀茂樹さんが、その使い分けについて無知であったとは考えにくいので、おそらく双子的には「じじつ」としたかったものが、やはり彼らにとっての「しんじつ」であったのだ、という意味で、「しんじつ」と堀さんは書いたのだ、私は解釈しています。これこそが、私にとっての「しんじつ」なのですが。

さて、
この小説は、「双子に取っての事実」が「彼らにとっての真実に過ぎなかった」ということが非常に、非常に重要な点だと思います。ここをクローズアップせずしてどこをクローズアップするのか。

ですね。

さらに、彼らは生き延びることに貪欲です。
多少人を犠牲にしても生き延びます。
この点もこの小説の肝となるところです。
ただし、それは「本能的なもの」ではなくて「母がそう言ったから」だと私は解釈しています。

それほどに、
彼らにとっての母は絶大だったという意味で。

最後に、彼らの、弱者に対する視線は、いったいどこで養われたのだ、というぐらい、徹底して優しいものです。
私、こういうことって、ある程度誰かの態度からの学びがあって初めて、身につくものではないかなと思っているのです。

子は生まれた時、他者に対してまっさらなんじゃないかと思います。
自分と違う部分があっても、それを「差」として受け取らない。

(だって、うちの子、私のこと、大好きなのです。私ってどうなんだと自分でも首を傾げたくなるのですが、我が子はそんなことお構いなしで、私を愛おしく見つめてくれます)

ところがそこに社会や大人が「差別」を持ち込むことで、子たちは自分とは違うものを「下」とか「上」とか言ってジャッジしていくようになります。

だから親や社会が、自分と違うものを激しくランク付けするタイプであれば、子もそうやって他者を色付けするだろうし、

親や社会が身体的な差異や性的な差異や、現代で「障害」と呼ばれるものを持っている人たちのことを、「下」ではなく「自分とはただ違うだけ」と解釈し、またそのように生きていたら、子もまたそうやって、それまでのやり方に特に色をつけずに、やっていけると思うのです。

で、この双子にとって、その接し方を教えてくれたのは誰なんだろう。

おばあちゃんと言いたいところだけど、双子はおばあちゃんちに来てすぐ、隣の家の兎っ子とその母親を気にかけている。すでにそう言った心が育った状態で小さい町にやってきているのです。

社会は当然、差別まみれです。

となれば、母しかいないのではないか、と私は思いました。
あるいは父もそう言った分別のある人だったかもしれない。

そしておばあちゃんは当然、そういう人です。
おばあちゃんは、子供だからと言う理由で愛でたりはしませんが、ユダヤ人であるという理由だけで殺されゆく人々を命がけで救う人です。

そういうわけで、双子はとにかく、社会から取り残された弱者を徹底的に守ろうとします。
そしてそれを差別するものを、死をもって、制裁するのです。

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この3つをキャッチフレーズにするにはどうしたらよいでしょうか。
うーむうーむ。

悪童日記1月5日

今日はサファリの稽古はじめでした。

稽古場は京都芸術センター、自宅から自転車で20分の距離にあります。
朝の10時半からの稽古、今日はバスでなく、地下鉄を使うことにしたので、時間が読めず、9時過ぎに自宅を出ました。(抱っこ紐で体を言わしており、なるべくならベビーカーを使いたいという思いからです)

まあでも、早く着きすぎるだろうとタカをくくっていました。

到着、10時半ピッタリ。
なんと、1時間20分もかかってしまったのです。
京都市内なのに!
1時間20分といえば、京都から名古屋まで往復往できる時間です。しないけど。

なんだか朝からどっと疲れました。
あのね、エレベーターの場所が悪すぎます!!!
あるだけマシだけど!マシだけど、もうちょっとなんとかならんもんかいね。
結果、多少しんどくてもバスに乗った方がずっとストレスレス。という結論に至りました。
うーむ。まだまだ子持ちに厳しい国です。

本題の稽古は楽しかったです。
高杉さん、まっちゃん、芦谷くんの3人でしたが、有意義な稽古となりました。

舞台となる街と、双子の住むおばあちゃん家の中の2カ所についてシーンを作りました。
小説の中の場所を表す名詞だけを使って、場所が見えてくるかどうか。
動きは、指をさす、立ち止まる、歩く、の3つだけに限定。
3人が時々影響を与え合う時に、それはとても面白くなりました。
動きを限定しましたが、遊び心で少しずつニュアンスがつき始め・・・それをよしとするかどうかに、面白さが隠れているなと思いました。

それから、双子が、離れては生きていけないことを証明するシーン。
途中で終わりましたが、離れたくないという感情を伝えるために、どういった動きが有効かを探りました。
当然、言葉は使いません。小説の中でも使われていないからです。

稽古の後、サファリのメンバーである日置あつしさんの公演が明日からあるアトリエ劇研まで、チラシを挟み込みに行きました。これがまた、道を間違う間違う。それも全部、エレベーターのせいなんです!(というか方向音痴の私のせいなんですが)

普段使わないエレベーターを、まず探す。見つかって乗って地上に上がったら、見たことのない景色。

これを繰り返し、再び1時間半ほどかけて劇場にたどり着きました。
劇場では、久しぶりに日置さんの奥さんの美緒ちゃんに会えました。チオもいて、いっぱいお話ししてくれました。

そして劇研の管理に入っていた長澤くんに、じうを抱っこしてもらいました。

赤ちゃんに慣れていてびっくり!!!しました。じうも嬉しそうでよかった!

悪童日記美術ミーティング12月28日

じうがまたまた風邪をひき、辛い辛いとむずがるので、ずっと寄り添っておりました。
息子のためなら手が痛くても足がしびれても尽くせますね。
でもひっきりなしに呼び出されるので、お母ちゃん、夜までほとんど何も食べれずでした。

今日は、悪童日記の美術ミーティングを我が家で行いました。

その前に、高杉さんと二人で話していたのですが、偶然宣伝美術の堀川くんが近くに来たということで家に寄ってくれました。堀川くんは散々話した後、カバンを忘れて帰って行きました。

ケータイ、とか、ハンカチ、ならよくありますが、カバンを忘れる人は初めて見ました。

その後、美術の夏目さん、そして照明の池辺さんが来てくれました。

隣で子供達が部屋を荒らしていく中、
いろいろざっくばらんに話して、なんとなくお互い思っていること、持っているものを共有したり、(高杉さんと夏目さんが)裕木奈江の話で盛り上がったりしました。

夏目さんとは初めて組みますが、どんなことになるのか今から楽しみです!

シニア劇団12月27日

今日久しぶりに、「母乳?」と聞くところから会話を始めるおばさまに電車の中で遭遇しました。
母乳?と聞いてくるおばさまはだいたいその後「母乳の子は体が硬い」的会話へと誘ってくれるのですが、今日は思わぬ変化球が。

「母乳?」
「はい」
「やっぱり母乳やね」
「はあ」
「私なんかもう、最初の子供の時は9ヶ月頃まですわしてたかなあ?」
「へえ・・・」
「だからもう最後の方はガリガリやったけどね」
「そうですか」
「おたくは体格いいね」

もしかして、女としてのステータス争いだったのでしょうか。

さて、昨日27日は、2016年最後のシニア劇団稽古でした。
今回は初めて、私が脚本を担当し、作品を発表する予定です。
毎回、ヒーヒー言いながら脚本を書いておりますが、年内には残念ながら描き終わりませんでした。
気配すらありませんでした。

それでもなんとなくの配役が見えたりして、面白い稽古になりました。
セリフは関西弁で書いているんですが、セリフになると急に関西弁を喋れなくなる方続出で、不思議なものです。意識すると急にできなくなるものなんですね。でもそのことが稽古終わりのランチの会話の中に出てきたので、なんだかしんみり嬉しくなりました。

2017年最初の稽古には、台本が上がっていることを夢見て(夢じゃいかんのですが)、執筆計画を立ててみようと思います。でも嘘をつきたくなかったので、稽古場ではそのことを明言できませんでした。えへ。

さあ、いよいよ年の瀬ですねー。
あと少し、打ち合わせが残っています。
じうちゃんのために、カッテージチーズを作ったりしたいのですが、それどころではなさそうです。