
2012.04.02.
帰山さんと住吉さんのソロダンス
ひとつのダンスの後半部分でふと身体が共鳴し動きそうになる瞬間がある。その瞬間はまさしく私がダンスを観劇する時に求めているものであるし、多分、ダンサーもそういうものを求めて舞台に立っているのだと私は勝手に思っている。
だからこそ、それがやって来るまでが今回長くて、果たしてこの作品にその部分が必要かどうかすごく考えてしまった。帰山さんのソロには、もしかしたら必要だったかもしれない。後半、身体がじわっと起き上がりかけて起きられない瞬間、確かにすごくて、私は背筋がぞわっとした。目を奪われた。その瞬間を作り出す為には「簡単に起き上がる事のできていた」前半が必要なのかもしれない。でも前半はどうしても、「おつきあい」になってしまう。この前半をどう創るか。私には分からないんだけど、そこが勝負所なのかなと思う。住吉さんも、後半とても魅力的だった。この方に関しては、前半からこのトップスピードでいけないものか、と考えてしまった。最初からいきなり、全速力。作り手としてはそんなもの求めてないのかな。でも私は彼女には、観客としてそれを求めたいと思う。音響は両方ともとてもとてもよかった。
トップスピードについて茂木健一郎が解説している→http://togetter.com/li/260113
ルドルフ「不動産を相続する姉妹」
渡辺綾子ちゃんの魅力満載。何あれ。アイドルやん。役者としてもかなりかなり上達している。見れば見るほど彼女は上達して行く。やばい。筒井加寿子との相性も良いんだろう。イッパイアンテナを観た時も、良かったけど。
ホールのタッパがあって、でも美術がほとんど何も無いせいで、声が最初、とても響いて違和感がある。その前のダンスでは黙っていたせいかと思う。やけに耳障りに響く。それはCTTだから仕方ない。で、それにも慣れて来た頃、本質的な事に気付く。この戯曲の台詞と、衣装の可愛さが少しずれている感じ。
完成度はいつものようにとても高いし、しょうもない争いぶりとか、ユニークで微笑ましい。でも、今回の演出の力の入れどころが、少しこの戯曲とマッチしていなかったのではないかと思った。台詞回しが、あまりに可愛い衣装と、馴染まない。うーむ。この戯曲の話を、私は知っているんだが(だって既に6作品観たし)、目に入ってくる情報が多いせいなのかなんなのか、物語が埋もれてしまった感じがした。でも、とてもとても期待していたので、それもあると思う。
重力/Note
やり方が新しくて面白いのは分かる。
だからこそ、もっと稽古して試行錯誤したものを提出してほしい。
最初、始める前にストレッチをする理由とか。どう考えても楽屋でも出来るレベルのものだったからなおさら、何故客に見せるのか、考え尽くしてほしい。本当に見せる必要あったのか。台詞を切り取ったり伸ばしたりごちゃごちゃにしたりするのも、私は個人的にはとても好みで面白いと思う。だからこそ、だ。それなら私も今ほら、真似できちゃうよ、と思わせてはならないと思う。続けてもっともっとおおおおおと思うもの見せてほしい。あと、テキスト選びも、少しだけで良いから、客の事を考えてもらえると・・・。市川タロ君のフレスコの唐揚げぐらい、おっと興味惹かれるものがあったらうれしかったりするが、これは無視して下さい。すいません。
2012.04.01.
コンブリ団ゲスト出演してきました。
ゲストって言ったって、ほとんど何もせんで良いのだと思っていたら、実際は台詞がいくつかあって結構緊張をしてしまいました。対する船戸さんという女優さんが、またこれ、ものすごい面白い人で、本番中に舞台の上で笑ってしまってすいません。
コンブリ団とは、元々俳優だったはしぐちしんさんが劇作、演出、出演をされる団体。はしぐちさんの台本は、前説がめちゃめちゃ長くて、私みたいなビビリは「こんな長い台詞を一人で言うのって、お客さんが退屈せえへんのかな」と思って余計な演出くわえちゃうパティーンなんだけど、
退屈しないんですよね。はしぐちしんはすごい演出家であると同時にすごい役者ですね。ほんとに。
それで、導入部分ではしぐちさんが笑わせながら柔らかく芝居の世界に私たちを引き込んでゆき、芝居の中ではものすごストイックな事をやりはじめます。でもストイックなのに柔らかいんです。これがものすごく不思議なんです。
出演されている四人の役者さんは、みため「付き合うというより結婚したい系」って感じの柔らかいかわいらしい女性で、でも役者なんかやるぐらいだからほんとは違うということが、お芝居の中でじわじわ分かります。四人ともに自分で何をするか決める強さがあるように感じました。はしぐちさんに言われた事を受動的にやってる感じが一ミリもしないという事。そんなの普通だけど、その普通が無い舞台もあるわけで、こういう、はしぐちさんの柔らかいサディスティックな演出の中で、そんな自律を保っている役者というのは、すごいなと思います。
8月6日に広島で起こった事は、知識として知っています。小学生の頃、みんなが原爆ドームや宮島の絵を書く中、ひとりだけ血まみれの被爆者の絵を書いてクラスメートをどん引きさせた苦い経験もあります。でも、そう言う知識はどうしても、自分の問題として自分に迫ってくる瞬間が、日常の中ではとても少なく感じます。そしてそれは、避けがたい事だとも思います。
今回この「ムイカ」というお芝居を見ている中で、これがどうしても、広島の事とは思えなくて、むしろ、広島の原爆の事を通じて、もっと人間の普遍的なことをあぶり出そうとしている気がしたのは、はしぐちさんの劇作家としての才能なんだなと思います。そういう風に仕上げてもらったおかげで、私は知識を再確認したり、同情を誘われたりする事無く、ヒロシマを通じて何かを受け取った気がするからです。
なにか、というのは具体的に何かわからんのやけど、でも、私は今、「生き残って」いるような気がしました。生きているというより、生き残っているんだなと思いました。うーんどうだろう、そうすると人生はすごく怖い舞台のような気もしてしまうけど。
観れてよかったです。ゲストについては、先にゲスト出演を果たしていたごまさんが、電車の中で「芝居は面白かったんだから、僕なんか出ない方が良かった」なんて言ってましたが、まあ、どうなんでしょうね。そう言う異物感も、はしぐちさんの狙いなのかな。確かにとても異物だった、わたしも。だけど私の偶然しゃべったことが、そのあとのお芝居にリンクしてたり(勝手に)思ったりして、そう言う偶然が毎回違う風に起こるのかと思うと、私はその不確実性を選んだはしぐちさんのことが、好きです。
以上、コンブリ団の感想でした。
2012.03.29.
どうしよう、結構大きな決断を、迫られているよ。
既にぷらいべーとで大きな決断をして、毎日が大変なのに、全く別の事で、また全くべつの、大きな決断。
私以外に、これを決断する人はいない。
あなたならどうする。ネスカフェ風に。
今日、毎日Twitterで「1日2000字書きました」と報告を義務づけ、書いていた物語が完結した。計52000字になった。23日書き続けた。最後の数日は1日あたり3000字とか4000字とか書いてしまった。物語のスピードがはやまってきて、なんだか2000字ではおさまらなかったのと、3月中に書き上げるのが目標でそわそわしてしまったというのがある。
字数にこだわる事をよく不思議がられるが、私の場合、大体20000字に収まるものは、尻切れとんぼで消化不良の場合が多い。結局、たった20000字でひとつの物語をしっかり描けるようになるには、まだまだ時間がかかるのだと思う。面白い短編を書ける人って、本当にすごい人だとおもうんだな。
あと、1日にかく量が決まっていると、ムラが少なくなる。私は前田あっちゃんと同じで不器用なので(殴らないでね)自由に書いていると、日によって雰囲気が全然違うものができたりする。その点、1日2000字だと、ムラが出る前にやめられるし、書けないと落ち込む前に書き終える。
途中で何度か、時間的や体力的に無理!って言う日はあったけど、煮詰まって物語が先に進まないって日はほとんどなかった。登場人物は勝手に話し、時間は勝手にすすんでいく。その辺りはしっかり、自分のコンディションと物語との距離を掴めていたようにおもう。たぶん。
あとは予定よりも押してしまったので熟成期間を経ず、プリントして、目を通して、しかるべき状態にして、フィンランドへ行くぜ!うえーい。
・・・いやいやその前に大きな決断をせねばならぬのだ。
うーむ。どうしよう。
悩む。
悩むよ。
2012.03.19.
なるほど。
Twitter始めるとブログ書かない。
ほんまやね。
最近毎朝なるべく、予定の前の2時間ほどを使って文字を一文字ずつ書いているのだが、
その時間は必ず、
なっちゃんにもらったお酢や、
なおちゃんにもらったテオブロマのチョコや、
えみちゃんにもらったかぼちゃクッキーや、
就職の決まった塾の先生にあげた黒豆チョコ自分用とか、
(塾長に散々冷やかされてびっくりしたが本当にただの餞別)
上田君にもらったみつを、
食べながらやります。
皆さんありがとう。
そう言うのを食べるとがんばれる。
ガラスの動物園。
Twitterに書くよりブログに書いた方が広がらないかなと思うのでここに←卑怯
深津絵里は、ミーハー心に会いたかったが、遠すぎてその心は満たされず。
演技はやや身体と同期してないように思われたけど、やっぱり華はあるなあ。
瑛太と立石涼子の、噛み合ってなさがすごく気になって、
稽古で何があったんだろう、稽古を積み重ねたんだろうか、と疑った。美術の良さによって、時々はっとさせられる構図の美しさが劇中際立っていただけに、俳優たちのキャッチボールの無さに集中力切れる。
ほんとに美術は素敵で、瑛太の八頭身が際立ち、だからこそあのすばらしい絵ができあがるんだろう。
ただ、いくつもあるドアの可能性は、もっと探れたんじゃないかとか。
絵としてよいものを、「なるほどだから必要だったんだね」に持っていく難しさ。
いや、長塚圭史さんならほんとはできるはずだと思ったりした。
稽古時間、短かったのかなあ・・・。
ガラスの動物園で描かれている母と息子は確かにキャッチボール不可能でそこが哀しくて面白いんだけど、
それは俳優同士がキャッチボールできていないと生み出せないものなんだな。
ダンサーは、いらなかったのではないか。
或はもう少しだけ、それが劇にとって何であるのかを、意図した動きに昇華させるべきではなかったのか。
でも、大好きなこの戯曲の良さはとても伝わって来たし、
長塚さんが見せたいものと、自分が思うポイントの、同じ所や違うところが見えて、とても面白かった。
観劇後、みほちゃんと二人で渋谷のロクシタンカフェへ。
こんなデカいサラダ食べたよ。
最近、胃腸の調子がほんとに悪くて、
なるべくサラダ系。
もう、アラサーやねんなあ・・・汗
某くんが、
演劇は宗教だ、と断定ツイートしていて、
その言葉を頭に巡らせながら、「いやーそうでもないよ」と言う為の理由を色々考えてみたが、
考えれば考えるほど、「ほんまやね」と思ってしまっておどろく。
ここから得られる教訓は、
演劇も宗教も、やるのはええから人に迷惑だけはかけないでおこうね
という事だけだ。
あとまあ、演劇の場合、少しがんばって続けていれば、たまに社会性のある仕事が回って来たりもする。
いや、宗教だってするかな。いや、宗教の方が中々道のり険しいかな。
がんばって新興宗教で修行してるからっつって、大学の講師の仕事はやっぱり回って来ないもんな。
そう思うと、宗教やってる人の方がストイックでかっこええな。
という訳で、
ここまでの話とは全然関係がないが、
私はいま、人生の岐路に立っていると思う。
うむ。
2012.03.07.
サリングの戯曲を演出してからというもの、最近、
「ど、ど、どういうことですか」
とか
「そ、そ、それはつまり」
とか、
そう言うしゃべり方が癖になっている。OLがたぬき(心の支え)を手放したときのしゃべり方なのだが、どうもそれに感染したようだ。
しかも問題なのは、これを言うとき、私は自分を結構、可愛いとおもっているという事だ。ヤバい。
さておき、
ホームベーカリーでパンを焼いたよ。
残った御飯をいれてみた。朝食べたら、めちゃめちゃうまかった。
しょうちゃんは、調理過程の9割を担当し、なおかつ焼き上がるまで待機して、洗い物まで担当したのに、食べなかった。
ケーキもうまかったな。
久しぶりにマカロンなんか食べた。
パリで、ピエールエルメまでマカロン買いに行った事思い出した。
レジには日本人が居たな。日本人が日本人を指導していた。パリなのに。
昨日は確定申告作業。
夏子さんとつよさんに、誕生日プレゼントをもらったよ。
おいしいお酢。今日は朝から、ローズマリーのお酢を炭酸で割って飲みながら書いた。
日中のスケジュールがコントロールできない。
どうしたらいいのかしら。
でもすごくいい感じだと思う。
色々新しい事を、始めようと思っている。
お、お、おなかが吹田。
ツイッターで、おでかけすると書いてから一時間以上が経過した。
うそをついてしまった。
未来は分からないものだ。
2012.03.05.
punainenpenkoaで検索してみてちょー!
という訳で、今日は私の誕生日なわけだけれども、和知で何をしているかという事は和知ブログの方に御任せして、
今日はSNSに感動した件について。
昨日の12時回った頃から、Facebookにおめでとうメッセージがわりと頻繁に入ってきはじめた。
うちのiPadちゃんはいちいち、「ビョン」という音でFacebookからのメッセージをお知らせしてくれるので、
昨夜はあまり寝付かれなかった事もあり、一晩中「ビョン。ビョン、ビョン」を聞いて過ごした(なんせおととい15時間ぐらい寝たので昨夜はもう寝る必要がなかったんす)
SNSって本当にすごい。
メルアド知らなくても、住所知らなくても、祝ったり連絡したりリアルタイムで話したりできる。年賀状はおろか、そのうち携帯も微妙な存在になっていくのかもしれない。大体、電車の中でも、iPad観てる人と新聞観てる人が共存する世の中になってきた。私がiPadでニュース観てる横で、おじさんが大きな新聞をバサバサ言わせながらめくっている。新聞のほうが絶対味わい深いけど、もうiPadを持ったら新聞は買えない。
それにしても普段会わない友達や知り合いからこんなに祝ってもらえるって、かなりうれしい。ああ、Facebookを開発した頭のいい年下のアメリカ人マークに感謝したい。
で、ツイッターで何をするかというと、
もちろん呟くんだけど、
今日から始めた事があって、
それを続けられるかどうか、ツイッター的に監視したいんですよね。
うむうむ。
中々幸先のいい35歳バースデーな気がするぜー。
2012.03.02.
昨日食べましたー!
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見かけグロい。でも薄味でなんか、上品。亀ゼリーなのに。
父と祖母が台湾料理屋さんで誕生日祝いしてくれたんす。
ちょっと早めのお祝い。
そうです。私の誕生日は3月5日です!!
誕生日に亀ゼリーです!
ところで私、先日、人生で初めて自分の誕生日のことを忘れるという失態をおかしてしまいました。
フツーに、5日に2つも予定をいれて、予定いれた後も全然気がつかず日々を過ごしていました。
「5日の誕生日どういう予定なん?」と聞かれて初めて、
「はっっ!!!!!夕方から打ち合わせののち、夜には確定申告の相談しに行く予定いれてしもうてます!」
と気がついたんです。
本当に、自分を疑いました。信じられませんでした。
色々理由を考えたんですが、多分わたし、別に35歳になんかなりたくないんやと思います。
だから脳が事実を歪曲しようと努力したんだと思います。結果、誕生日を忘れてしまったと。
これまで、まさか自分の誕生日を忘れるなんて、そんな事、絶対無いし、ありえないと思ってました。「自分の誕生日なんか忘れたわ」と言うてる人に会った事もありましたが「嘘付けそんなことはあるまい」「自我から自由になったふりをしやがって」と思ってましたがありました。
私、忘れてました!
つまるところ、私の年齢詐称願望は、自我よりも大きかったという事です。
やはり私は女です!
良かったー!
ちなみに本当にどうでもいいと思いますが、さすがに自分の誕生日に確定申告の事を相談するのはどうかと思って、予定をずらしてもらいましたよ。なんか誕生日祝え、みたいなおしつけになってもあかんなと思って。さらに、夕方の打ち合わせは先方から偶然、日時延期のお知らせが入り、
無事、私は自分の誕生日を、フリーダムに、過ごせそうであります。良かった。
良かったー!
別に35歳になんてなりたくないのに!
今日は初めて、京都ロマンポップという劇団の御芝居を観に行きました。
私に無いもの、私にはできないことを沢山沢山観ました。
2012.03.01.
なんか不思議な動きである。
ずーっと前のメールが急に届いたり(2ヶ月ぐらい前だったりする)、
2時間ほど前のメールが一気にどどどっと来たり、
電話が必ず留守電になっていると言われるがこちらは電源の入る場所にいて誰とも話しておらず、なのに着信しなかったり・・・・。
これは私だけなんでしょうか。ソフトバンクの方、どうか教えて下さい。
或は私に連絡しても返事が無い方、いつもの山口の怠惰だと思わず、しつこめに連絡してみて下さい。うーむ・・・。
今日はそのおかげで夏子すんと連絡とれずひやっとしたぜ。
夏子すんは私に2回も電話していたがその間電話が全く反応なし。
そして夏子すんのメールが3通、30分後にどどっときました。
私のケータイの問題?
それにしても今日は夏子さんと話してテンション↑↑(アゲアゲと読みます)。
ほんとにありがとうなつこすん。
私が壊れていてもわたってしまう石橋を、夏子すんは叩きすぎて割ってしまうのである。
そんな正反対の友人がいることって宝石すぐる。
歯医者で歯の動きを説明してもらって、ものすごく面白かった。
まだまだ矯正は続くのであるが、動きが面白いからなんとか我慢できるのである。
そして確定申告。わくわくわく。
2012.02.29.
MTのはずが、ちょっとお流れ。
という訳で1日、とある作業に没頭しました。
・・・
自分でもり上がって自分でもり下がるっていう、今日1日(いやここ最近)微妙に邪魔臭い感じになってたんですが、当ウェブサイト管理人の夏子さまからランチに誘って頂き、夕方にはかずちゃんから電話で色々励まされ、
テンション復活ー!ライフの天丼食べましたー!(ランチは明日)
私ってなんでこんな私が嫌いなんやろうって落ち込んでたんでよねーでもこういうのってほんま邪魔臭いと思うので黙ってひたすら地味な作業を繰り返していた。
でもね、そしたらね、魔法使いのような友人達が魔法を使って連絡とともにお悩み的中アドバイスをくれるという・・・もう、ほんと・・・
「私友達いるんです」宣言!!!!(。TωT)ノ☆・゚:*:了└|力"├♪
いやーでもさーよく考えたらっつうかよく考えなくてもサリングだって同じような事で励ましてくれてたわけだし。
私、変わりたい願望が強すぎるなー。
しかも一瞬にして。
「私は評価に値する努力を地道に続けてきました。だから現在の私のポジションは当然です」とさらっと言って退ける人がうらやましくてたまらない。村上春樹とか2010年に出た「考える人」のインタビューでそう言ってるんやけど、ほんまかっこいいと思う。
しかしよくかんがえると、村上春樹を好きな私のことは、私、けっこう好きというか誇りを持っている。
初めての呼んだのがノルウェイの森で、「全然むり」と思って敬遠したものの、何かの折に偶然「ねじまき鳥クロニクル」を読んではまり込み、全作品を網羅した、という経緯が、春樹の様々なインタビューを読むにつれ、非常に、ひっじょうに、彼自身の作品に対する評価と相似しているからである、もちろん、偶然。(それゆえ「リトル・ピープルの時代」(宇野常寛)は全然違う視点で春樹作品を分析していて、共感はできないけど興味深い)
村上春樹が自分の小説に対して思っている事と同じような印象を、自分が彼の小説に対して持っている事。
それはまさに、村上春樹が投げたものを、受け取っているのだなーという感じがする。
こういうとき、私は、自分が発信側だとか受信側だとかそう言う事を飛び越えて、すごく満ち足りた気持ちになる。
つまり村上春樹を読んでいると、どうしても発信側でいたいのだ、というような気持ちなんか全然わき起こらない。そこが、あの人の、すごいとこなのだよね。むしろ受信できた自分が、好きになれたりして。
のに、
村上春樹は数年に一度しか本を出さないわけで、
ふつうに生きているとどうしても発信したくなってしまうのだ。
そしてまた、自己嫌悪に。
という訳で、
本に囲まれる小堀さんに逃げます。
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小堀さんにお会いすると、いつも出版された本をいただく。
世の中には発信する人と、発信する人をこんな風にサポートする人と、受け取る人が居る。
居るのだ。
2012.02.27.
とはいえ、とは言えだよ、(前のブログ記事に続く/なんか書き方がツイッターみたいになっている。それならツイッターしろよと)
怒ると叱るは別ものなのね。
この線引きが出来ないで、私はいつも悶々とする。
むくむく!と怒りがわいて来て、でもここは怒ってはならない、叱るべきだ、と考える。しかし、「怒り」が湧いた時点でそれはもう、叱るへのスライドの道が閉ざされたという事。怒りを抑える手しか、私には無い。
もんもんもんもん・・・・
「叱る」為には、まず、全然怒ってないんやけど、ここはちゃんと言っておいた方が相手と自分の為になると判断する冷静さと判断力が必要になる。
んな事できるかーーーーーい。
叱れる人って尊敬するわ。
それも、「上下関係を構築する為の叱り」やとダメダメやけどね。
そうじゃなくて、仲間として、一緒にやって行く為の叱りね。
人間関係って難しいー。